
ボーイスカウトの指導者の立場から教育を考えてみました。
先日から関わっているeラーニングの学習理論の勉強の続き。
『教えることの復権』 大村はま/筑摩新書を読んだ。
私は教職ではないので、このような教育関係の本を読む機会は少ない。
教師が「教えるということ」を正面から見つめなおして、今もっとも必要なことは何かということを考える。という内容である。
新書だから220ページ程と短い。しかし、内容はなかなか考えさせられるものだった。
読み進めていくと、どうしてもボーイスカウトの指導者という立場で比較してしまう。
ボーイ関係者の指導者の手引きといわれるものには「隊長ハンドブック」というものがある。
ここには、ボーイスカウト活動の内容や指導者の役割と責務などが書かれている。
しかし、「教える」という言葉はない。(見つけられないだけかも)
あるのは、「助言」、「アドバイス」、「支援する」などである。
この本のなかで、最近の「教えない」教師の二つのタイプが目に止まった。
[1] 生徒の自主性にまかせることが「自ら学び、自ら考える」教育になるとみなす教師
[2] 知識の伝達に終始することで、教えたことになると思っている教師。
とあった。
これは、そのまま私にも(ボーイスカウト指導者として)あてはめて考えられそうだ。
「自主性」という言葉にはいつも考えさせられることが多い。
スカウトの自主性に任せて、やりたいことをプロジェクトにしていいんだよ。
はい、わかりました。
なあんて、うまくいくはずが「絶対にない」。(と思っている)
第一、大人でもどうしてよいかわからないことが多い。
だから、「助言」が必要だが、この本の言葉でいうと「教える」ことなんだろう。
ためらわずに「教える」ということを実行に移せるかどうかは、常日頃からの準備が大切だ。
やっぱり、「備えよ、常に」やん。←いい言葉だとつくづく思う。
それにしても私は教師ではないし、ハンドブックにはそこまで「教える」ということについて書かれていない。
でも、ちょっと考えてみてもいいテーマだと思った。
著者の考え方は、「学校は大人になるための練習の場だ」という。
ボーイスカウト活動は、「よき社会人になるための活動」だ。
しかし、この本。
現役の教師の方にオススメかも。←って、教師でもないお前に言われる筋合いはない?