【ネッカチーフ】資料画像

ネッカチーフ
WOOD BADGE

ウッドバッジ実修所(Advanced Wood Badge Course)を修了した各国のリーダー達は、ギルウェルスカーフを着用できる以外、同時にウッドバッジが授与されることは良く知られています。併せて、ウッドバッジについてもご紹介致しましょう。 
ウッドバッジとは、WOOD BADGEという英語で、直訳すると木製の記章という意味になります。台湾、香港は「木章」で翻訳され、木製のビーズと革紐で作成されたネックレースです。
このネックレースの由来は、スカウト運動創始者である、BP卿が陸軍の将校として、1888年南アフリカのズールーランドに遠征隊として派遣された時、ズールー族はディニズル酋長(Chief Dinizulu)を頭に英国と敵対していました。
この酋長は約2,000箇くらいの木製ビーズを生革の紐に通してネックレースとして身につけていたと言われています。ビーズは南アフリカのイェローウッド(YellowWood)で柔らかい髄があり、この髄を形作りビーズにすると、ビーズの両端に自然の切り目ができるのであります。ビーズのネックレースは忠誠心と卓越した戦士達を識別する為に授けられました。
ヨーロッパから派遣された将兵達は、当時戦利品を収集する習慣がありました。 この木製ネックレースもBPの戦利品になりました。その後、1899年10月メーフキング(Mafeking)の包囲戦の際、BPは年老いたアフリカ人に会い、彼の尋常でないふさぎかたについて尋ねたところ、その男は首から革紐を外し、BPの手に渡して言いいました、「これを身につけなさい。母が幸運の為にくれた物です。あなたに今幸運を運んできますよ。」 陳 金柱さん

Dinizulu

1919年、BP卿は英国連盟のギルウェル・パークで最初の隊長訓練コースを開設しました。
コースを終了したスカウター達から、特別なバッジを修了のしるしにもらえないかとの質問がおこったとき、BP卿は言いました、「彼等にありきたりのバッジを与えるな、我々がウッドバッジと呼ぶ紐に木片を付けた物が良い」。
BP卿はディニズルのネックレースと老いたアフリカ人がくれた幸運の革紐を思い出して、二つの木製のビーズをネックレースから取り出し、革紐を通して結び、今、有名なウッドバッジ・・・首からかけ、隊長によって着用される唯一の熟達章をつくったのでした。
カブコースが開始された時、カブのスカウター用のバッジトは狼の牙でした。しかしその後、すべてのスカウターは同じウッドバッジを身につけると決められました。カブスカウターのウッドバッジコースは、1921年5月にギルウェル・パークで開催されました。ディニズルのオリジナルビーズの供給はすぐに底をつき、ギルウェル・パーク野営場にあるブナ(Beech)からレプリカが作られるようになりました。今日、各国連盟の副リーダートレーは3箇のビーズを、リーダートレーナーは4箇のビーズのウッドバッジを着用しています。ちなみに今もギルウエルのキャンプチーフ(野営長)は6箇のビーズを着用しています。 尚、これらの内容については、神奈川連盟の富澤準治氏が「Wood Badge Memorabilia」という題で小冊子を日本語で出されていますので、お読みになることをお薦め致します。 弥栄 陳 金柱さん

DINIZULU酋長のビーズ

陳 金柱さん 撮影

在日米軍スカウトの制服在日

この写真は1940年後半から50年代初頭にかけての在日米軍スカウト(この当時はご存知のように日本は敗戦国であったので青少年活動<ボーイスカウト>が禁止されていました。)の制服です。またこの制服は、正規のユニフォームでなく在日米軍へ納品している業者のテーラーメイドです。この当時に日本国内で人種は違いますが一部でスカウト活動が 行われていたことは日本のボーイスカウト史の中でも大変興味があることのように思えます。 K

ズール族の首飾りレプリカ

ズールー族といえば、BPが南アフリカで敵対していたんですよね。その時の酋長がディニズル酋長。
後のウッドバッジの起源となったものです。写真はレプリカですが、雰囲気が出てますね。
帯広第4団 宮田さん より

第1回ウッドバッジCS実修所のノート

日本で最初に実修所が開設されたのはBS課程だそうです。
その次にカブコースの実修所は昭和35年8月25日から30日の間に那須野営場にて開設されました。そのときの参加ノートがこれです。(写真左)
このノートはイギリスから輸入されたものです。私(亀井)も実物を拝見させていただきましたが、表紙はしっかりとした厚手の紙です。
内容は当時のプログラムがメモされてあります。バイキンゲームというのがあったり、ソングがあったり、国旗掲揚も今と同じようにあります。大変興味深い内容ですね。このノートの最後の方に貼り付けてあったのが、「教程」の確認サインでした。(写真右)今でいうところの基本訓練の修了証でしょうか。このコースのキャンプチーフは、ジョン・サーマン氏。当時の実修所は日本で実施されていてもイギリスの出先としての扱いだったらしく、修了証はサーマン氏のサインがあったそうです。残念ながら私が拝見したときはその修了書を探すことはできませんでした。(どこかにあるはず)
豊中12団 島村俊行さん 所有

日連50周年記念ソングのソノシート

1972年の日本連盟50周年記念ソングのソノシートです。ソノシートの画像は初登場!
ソノシートといっても、今のスカウトには何のことかわからないかもしれませんね。
スカウト全員に配られたものだそうです。
ボーイスカウト東京連盟総武地区
江戸川第3団ボーイスカウト隊副長 原野悟さん所有

BP卿のお孫さん夫婦

先日参加した16th NEW ZEALAND JAMBOREEにて。
B-P卿のお孫さん夫婦達とお会いしたことは大変光栄なことでした。彼のBEADSはDINIZULU酋長のものです。大変珍しいです。陳 金柱さん 撮影
(写真左が陳さん、続いてB-P卿のお孫さん夫婦)

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